タイトルからしてやる気がでない。

日常生活もやる気が出ない。

中学時代の落ちこぼれていたテンションと重なる部分がある。

高校以来決めてはいた研究職への進路であるが、

ここのところ研究作業がかったるくて仕方がない。


もともと人文系の研究はしっかりと席から動かず、ひたすら文献を読んでいくものである。

しかし、自分はといえば集中力が致命的なまでに乏しく、一つ所に2時間もじっとしていられない、

2、3時間ふらつくほうがむしろ好きなタイプである。また、自宅で勉強ができない。自宅ではネットサーフィンするか、別の本を見るか、寝てしまうか、072を***、いずれにせよ学究なんてものはしないのだ。ちなみに研究作業で一番集中できるのはラウンジが喫茶店、ファミレス。読書では同じく喫茶店、そして電車の中であり、小金を消費しがちな喧騒雑踏の中という点では共通している。


将来の研究者としてこれでは手のつけようがないだろう。

ここまできてこういう疑問が湧いてくるのである「自分は研究職をめざす、と知り合いに吹聴し、教師と親を騙し、そして自分自身も欺いて、就職などの節目・『通過儀礼』から逃げてきただけではないのか」、と。


 こんな性格ではいっそ就職して、一日何軒も廻る営業でこき使われえた方が社会のためでもあり、ひょっとすると天職でもある(と自己暗示して諦念する)かとも思うのだが。

 ただ、どうも背広着て通勤、結婚して家族のために働く・・・・という自分の姿を想像すると、かなり腹立たしくなってくるのだ。 「ああなったら、終わりだ・・・!」

 もちろん自分は何も世間をわかっちゃいないし、人はそれぞれ有意義に暮らしているはずなのだ。しかし、自分の目から見れば、あの通勤する背広姿は、学ランやブレザーといった学校の制服を着た生徒と大して違わない気がする。当然社会人たちは自分でサラリーを稼ぎ、自分の足で生活し、家族を養っているだろう(そうでない人もいるが)。生徒は学費を消費し、親のすねをかじる(かくいう自分も然りである)のであり、本質的に違う。それはわかっているのだが・・・


自分をある程度殺して社会の枠で生きていくか、世間からあぶれ野垂れ死に同然になるのを覚悟で自分勝手に生きていくか、このベクトルは生を過ごしていく上で同じでない。


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さて、最近道場ならびにバイト先からよく言われる。「彼女つくんないの?」

。。。。。

そう言われるには何か理由があるのだろう。

思うに、あまりにout of this timeな風体をしているか目つきが不審にギラついているからであろう。


もう一つ。指とか首の関節がなるのは別に普通だが、自分は変なところが鳴る。


まず腕を後ろに回してひねると左肩が、次に欠伸がてら両手を広げて背筋を伸ばすと胸の真中が、

そして不用意にこれまた欠伸をすると・・・・・・・



アゴが、鳴るのである。