ベロー〇ェ:


 半年前に今の店長に。初代店長「苦烈婦」に劣らぬ程気に入られている。苦烈婦とは違う点。全く合理的な考え方である。シフトにバイトをたっぷり入れ、備品も揃えてくれる。慎重で無理のない仕事をさせてくれるいい店長である。歴代3人目で一番バランスがとれている。

 

 が、しかし今バイトをやめたくて仕方がない。まず研究に集中できない。どうしてもバイト月10回くらい入ってしまうはめになり、集中力のない自分としては研究に没頭できない。これは博士の先輩にも言われた。


第二に後進が優秀であり、自分は微妙だということ。喫茶店といった接客関係の仕事というのは、多方面に気が利くことが重要である。向き不向きもあってできる人はすぐできるが、向かない人はどうやら限界があるらしい。ミスドをやめたときこの点を決定的には認識していなかった。3年やってて未だに散漫で詰めが甘い自分と、半年足らずで時責クラスの働きをする後進。意外に自尊心が高く、性根の価値観が古い(年功序列、男尊女卑)自分にとってこれがだんだんバイト倦怠の要因となってきた。根本原因に苦烈婦時代まじめに働かなかった自分にあることが、よりそれに拍車をかける。


第三にナメられている、といった印象である。自分は他人に、気の優しい面白い人間だと思われることが多い。自分もそう思われた方が世渡りしやすいと思い、それに甘んじたり時にわざと自分で演じることもある。しかしそれ一偏になると自分の中の自尊心と葛藤を生じるのである。現実的に気の優しい、へりくだった態度は人を付け上がらせるし、面白い人間像は容易に馬鹿にすべき対象へ置換される。他人をアッと言わせる能力が今これといってない以上、こうした態度押し続けることは損を蒙りかねない。もう少し人から嫌われてもいい、愛想がなくていい、人につけこまれない人間になりたい。ストイックな生き方も考えもので、見方を変えれば「ええかっこしー」である。もうすこし卑劣に生きよう。強度のない器では、いくら大きくてもだめなのだ。


こんなことを考えながら店長には降格一回、退職二回お願いしてみたが、却下された。「お前は頼りになる存在だよ、がんばれよ」と慰留されたのだ。その言葉うそではないだろう。しかし「頼りになる」の意味が自分と違うと思う。店長をはじめ他のバイトにすれば「小回りがきいて使い勝手がいい、便利だ」というものでさしずめ小間使い、便利屋として「頼りになる」ということだろう。しかし自分が思う「頼りになる」は、責任を任せるに値する畏敬される存在としての働きである。


オープニングメンバーが先月一人やめた。本店最強のバイトにして美人の「鉄人」である。彼女は日曜以外基本的に毎日シフトを入れていたフリーターだった。もう仕事に飽き飽きしたそうだ。しばらくしたら実家の九州に帰りたいとも言った。彼女はやりつくし、仕事をきっちりこなし尽くした「勝利者」として辞めた。じぶんはどうだろう。「敗残者」である。仕事をいい加減にしつづけたのである。それでもいい一回べろー〇ぇ「敗北」宣言して、再出発をしたいのである。趨勢決まるもグダグダ続くこの負け戦を清算せねばなるまい。