自分が矢沢永吉の音楽に没頭していたのは高1の終わりごろから。

矢沢ファンにおける「新人類」といったところ。


もっとも缶コーヒーBOSSや漫画「カメレオン」、「湘南順愛組」やテレビの「めちゃイケ」で流れる「ファンキー・モンキー・ベイビー」等で無意識に接していたとは思うのだが、

いかんせんヤクザか不良か、歌手か非常にあいまいなイメージが漂っている感じであった。とにかく「おっかない」という点では一貫していたと思う。



BOSSのCMで変なオッサンがエラそうにしてるな、みたいなことを、ある時テレビをみていてぐちると、

「ああ、矢沢永吉だ。老けちゃったねえ」と親が嘆息し照るのを受け、ハッとした覚えがある。


これがあの矢沢永吉? 当時のCMとしてはサラリーマンに扮した矢沢の意外性が特徴であった。

しかし、自分にとって初めての矢沢はこのエラそーなリーマンだったわけだ。


ちなみにこの時流れていたCMソングは「青空」。90年代の矢沢を代表する曲であり、

『この夜のどこかで』(95年)に収録された。自分としては『HERT』、『永吉』に並ぶまさに90年代以降で最良のアルバムである。


初めて買ったのが中古のライブアルバム『STAND UP!!』。

マスタリングが災いして平板な印象を受けるが、実は矢沢の若さと円熟が絶妙な、今でも飽きないライブテイク集である(リマスタリングを強く希望する)。ライブアルバムというよりは、80年代のライブのテイク集といった方が正確であろう。


当時名曲「チャイナタウン」(『ドアを開けろ』収録。著書『成り上がり』、名曲「時間よ止まれ」など矢沢のブレイクを導く佳作)のリメイクがでた(1998年、セルフカバー『サブウェイ特急』収録)から買ってきてくれと言われて金を貰ったが、

アルバムがわからず(店員に聞くでもすればよかったのだが)、またネコババしてやろうという卑劣な気持ちもあり、中古で買ったのである。


親はミーハーなのか数回聞いて放り出していたようなので、自分ががめてしまった。


ところが聞いてみてもサッパリピンとこない。・・・ その半年前まで「音楽は国を滅ぼす」と思い込み、3ヶ月前ごろドラクエのサントラと井上陽水の『ハンサム・ボーイ』(国民曲「少年時代」収録)を聞いて、なによりCDの音の綺麗さに圧倒され、ようやくサザンを聞いて音楽の消費者の入門を果たそうかどうかという状況であった。


無理もないのである。


しかし、今となっては自分の頭の固さが幸いした。あの名だたる矢沢永吉がピンとこないはずはない、と延々まわし続けた。音楽よりも矢沢の名声ゆえに聞いていたのである。これでは音「楽」ではなかったが、半月くらいするとどうやらいい曲、耳にメロディーが残るものが判然とするようになった。


それぐらいのころ、いつものように「めちゃイケ」を見ていると、また「ファンキー・モンキー・ベイビー」が流された。

「この曲つくづくいい曲だなあ」、とぼやいていると、


また親が「作曲は矢沢永吉だよ」。



?「何ィー!!」。 自分が聞いているあのアルバムとは全然違うではないか!

矢沢のキャリアは30年。声の質にも変遷はあるのだが、素人の自分はただ愕然。


若い頃の作品を漁ってみよう。是非ともこの曲を聞かねば。

3キロ離れたツタヤで『矢沢永吉全集』をレンタル。70年代の曲7割が収録されているものである。

矢沢の初期の名曲をテープ(!)に入れるも、ないのである。


あの曲は・・・・?聞きたい・・・



今度は親にしつこく尋ねる。曲名がわからないので「めちゃイケ」の…から。結構恥ずかしい。

「ファンキー…」が矢沢が初期に結成した『キャロル』のクレジットであることを突き止め、駅前のCDショップで『キャロル・ゴールデンベスト』を買い、ようやくあの曲に再会できたのだった。


しかし、「音楽っていうのはホント不思議だよね」(矢沢、ライブMCの口癖)。


ようやく手に入れた「ファンキー・モンキー・ベイビー」、10分間くらい聞いたら飽きてしまったのである。2分くらいの短い曲でせいぜい5、6回。


今から思えば、それが当たり曲の特質であった。ヒット曲というのは聴いた瞬間ハマるのも多いが、繰り返し聞くと飽きてしまい、時期を置いて聞いてもそうピンとこないものが多い。自分としては桑田啓祐の「波乗りジョニー」、ZARDの「負けないで」、ケツメイシの「さくら」がこれに該当する。


長く続くアーティストはヒット曲だけでなく、地味ながら飽き難い佳曲をえてして持っているのである。矢沢永吉、松山千春などはむしろヒット曲、アルバムはさほど多いわけではない。強烈なオリジナリティと人をして静かにじっくり聞かせる曲を持っているからこそのキャリアだと思うのである。


「ファンキー…」を聞き飽きて(駅前のコンビニの裏で)、家路に就いた。

しかし、自分にとっての矢沢の音楽の魅力は減じることはなかった。

カセットテープには既に名曲たちが住んでいた。