ブックオフで今日も本を買ってしまった。3冊のうち『漢字と日本人』(高島敏男、文春新書)、『平成剣法心持』(高橋秀実、中公文庫)をだーっと読んだのであるが、後者は無料(大衆洗脳byリクリート)雑誌R25の末尾にあるエッセイ、「結論はまた来週」を隔週執筆している作家で、私はこの作家の記事を読みたいがためにR25をとっている。


『平成剣法心持』の解説部分で、この人の著書「からくり民主主義」を紹介するくだりに「若狭湾の原発銀座」を取材したと述べられていたので、その現場を訪れたことのある私は注意を引いたのである。


ちょうど一年前、学校の授業・課題が全て終了したので、私はJRの「青春十八切符」を使って「日本の車窓から」を実践したのであった。4泊5日、行けるとこまでいくもので上野から、越後湯沢、会津、盛岡、八幡平、秋田、直江津、敦賀、大阪、名古屋、木曾、飯田、豊橋、最後は新幹線(タイムリミットによる裏技)でざっと東京へという行程である。不満だったのはカノ女がいないこと、座りっぱなしで尻が痛くなることぐらいであった。日本としてひと括りにするには罪なほどの各地の多様性、悶絶するほどの自然の美しさに触れることができた。


さて問題なのが3泊目に泊まるべくして終電から降り立ったのが若狭の要衝敦賀である、時刻は23時半を過ぎていた。不本意ながら実体験よりも知識で事象を認識しがちな私にとって、敦賀とは中世以来の由緒正しい近畿で有数の豊かな港町であるはずであった。当然素泊まりの宿屋は容易に見つかるはずである。


しかし、駅まえ(規模としては高田馬場のロータリーぐらい)に受付の閉じた旅館が二軒あるだけである。・・・・クソ寒い。

・・・・・・


非常に深刻な状況である。二軒のうち一つはビルの中にあり、そこで雑魚寝できないこともないが、見知らぬ土地で私は非常に気弱になっていた。すこし歩いてみよう。・・・


表通りは商店街になっているが、不景気なのか、本来そうなのか、開いている店は一軒もない。やがて商店街が途切れたところで十字路があり、そこで閉まりかけの「7&Y」とファミマ、その奥にバーミヤンを発見した。表通りと交わる大き目の通りはどうであろうか・・・


異様である。その通りのとおりにはいくつかの屋台と、いくつかのラーメン屋が開いていたが、駅前の通りを気持ちましにした程度であった。しかし、その通りの脇道がいやに活気があるのである。そこは風俗街であった。それまで人影がほとんど見当たらなかったのに、ここでは背広がぞろぞろふらつき、タクシーも忙しそう、路頭には怪しいイントネーションの日本語で話しかけるお姉さんがあちこちにいるのである。概して、景気がいいのはこの風俗区域だけであり、それ以外は死んでいる街なのである。新宿で歌舞伎町以外はみなシャッター街といった感じである。


「安いよ」 「マッサージ3千円」とか声をかけられつつ一端その場を離れ(3千円はその時の自分にとって大金である)、大通りに戻った。とりあえず腹が減ったので、先のバーミヤンへ。時刻は午前一時くらいか。


バーミヤンでは哀れなほどに禿かかったお姉さんがやってきて案内され、ラーメンを注文。店内は3、4人の学生らしい若い男が寝腐っており、あちこちの卓に片付けていない食器がある。・・・ラーメンをすすっていると、4人の夫婦連れが来店。ボクシングの赤井か金日成かという感じと、すれたマスオさんといった感じの男二人、そしてケバさと地味さを兼ねたような女二人である。女の方は訛りがある。察するに中国人だろう。彼ら話の内容は、仕事の話、日本出の生活、自分らの結婚と仲間にまつわるものなど。自分よりもはるかに苦労してきたんだなあと、非常にわびしい感慨にさせられた。しかし・・・・


死んでいる。バーミヤンだけではない。この敦賀という街は死んでいる。その上風俗街だけが煌びやかで活気がある。まるで「百鬼夜行」である。ここは死後の世界なのかと思わせるほどの奇怪な空間であった。京と越をつなぐ海運の要衝、伝統の港町は一体どうしたんだ!若狭随一の都市ではないのか?    


バーミヤン(午前二時閉店)を出た後も旅館を探すも閉まっているものばかり、途方にくれた。寒い寒い寒い。


屋台がやっていたのでそこに行ってみる。何もしようがないのでまたもやラーメンを(!)。三回くらいオーダーを聞いてやっとこちらを振り向いたビートたけしそっくりなオッサンと、本当にすれ果てた、汚いおば(あ)さん(夫婦ではないらしい)でやっているらしい。「あぶないところへいってはいけないよ」懐かしい警句が頭をよぎる。この屋台非常に悪臭がするのであったが、出されたラーメンは自分が食べたラーメンの中で一番まずかった。


さむい あやしい ねむい くさい まずい このどうしようもなさを紛らわすため、この二人と話をすることにした。自分は東京から来たというと、びっくりした顔で、一度もいったことがないよう。さらに詳しく横浜とまで言ってみるが、どうやら地名だけは認識しているらしいが、それ以外は皆目だめである。


景気はどうだときくと、ここ20年くらい下がだけなのだそうである。でも何であっちの風俗だけ繁盛しているのか、と聞くと、あれは原発の人間が関連先の人を連れ込んでしょっちゅう接待・宴を張っている、だから風俗だけ潤うんだ、と。ここら辺は外国人が多いのかときくと、一番多いのが韓国人、次にロシア人、中国人とのこと。


 街の状況をきいて、屋台を後にする。午後二時半くらい。通りを歩いていくと、朝5時までやっている喫茶店を発見。ここで朝まで始発まで凌ぐか。店に入り、カフェオレを注文。


ここも異様である。内装はル〇アールよりも陰鬱、荘重。照明は胡散臭いシャンデリアであり、卓は電源がついていないゲーム機である。客も客で、茶髪でアイパー、派手なシャツに背広といった「ブタゴリラ」、代ゼ〇のY野先生を膨らませたようなオッサンと、その両脇に私より3歳くらい年下のホステスのような女の子である。このオッサン、セコい喫茶店でガキみたいなホステス両脇に侍らせて何やってんだろう。・・・・


結局、敦賀の「裏街道」パワーに圧倒され、うなだれていた私は始発で敦賀を離れたのであった。この旅行以来、若狭の原発のイメージは夜の妖しい紅い灯りとともに深く脳中に刷り込まれたのである。


奇形な経済だとか、切り捨てられる地方とか言われかねない街だが、無国籍で荒んだこの状況に触れたのもなかなか貴重である。首都圏育ちの天邪鬼にとって「健全」ならざるこうしたものを体験できてよかったと思う。


これからも生き残ってくれ、アバンギャルドの敦賀。