先日、久しぶりに「同好会」の同期・後輩と飲んだ。その席で後輩から(おそらく口数の少ない自分に気を遣ってくれたのだろう)、「少年のような瞳ですね」と言われた。


それを聞いた自分は思わず、思い出し笑いをしてしまった。漫画「シティ・ハンター」の一シーンが頭に浮かんだのである。そのシーンとは、主人公冴羽獠が依頼主の女の子から「冴羽さんの瞳はまるで少年のよう」、といわれ(このコマの冴羽の顔は真面目?に描かれている)る。しかし、冴羽のパートナーの槙村香から「下半身はこんなですけど」といわれ、案の定冴羽のチ〇コは隆々だった、というものである。(思い出し笑いをするのも当然だが、ほかの人は変に思っただろう)


「シティ・ハンター」を初めて読んだのは、大学一年のときに所属していた「同好会」とは別のサークルの部室である。部室に全巻並べてあった。誰もいない部室で爆笑することはしばしば、女子部員のいる時もニタニタしながらそれを読んでいたことに至っては今更ながら不謹慎さを覚える。


さて、そのサークルに入部したとき、プロフィール用紙を渡され、記入したのであるが、後に先輩のプロフィール用紙を見ることがあった。今印象にあるのはS先輩のプロフィールである。S先輩の用紙の自分の顔の欄(自分はどうでもいい似顔絵を描いた)には、コーヒーを飲むゴルゴ13のコマが漫画からそのまま切り抜かれて貼られていた。そして尊敬する人物の欄には「デューク東郷」と記入されいてた。


S先輩はそのことについてみんなから突っ込みを入れられたが、タジタジになりながらもほとんど真顔で「でもかっこいいよね?」といっていた(不肖宮嶋曰「ゴルゴ13は単にリゾートのプールサイドで寝そべり、女を抱いているのではない。彼はそこで魂の洗濯をしているのだ」)。その時はともかく、数年たった今ではこの心情をよく理解できる。自分にも尊敬する人物として、漫画のキャラクターを挙げたい気持ちがあるのだ。憧れる人物と言った方がより正確だとは思う。


自分ならば、先の冴羽であったり、「花の慶次」の前田慶次、「凌ぎの哲」の達磨といったところだろうか。


冴羽が登場する北条司の「シティ・ハンター」や「エンジェル・ハート」には強者や多数者の論理には還元されえない弱者の立場を理解・表現しようとする姿勢が伝わってくる。また慶次を描く原哲夫の「花の慶次」や「影武者徳川家康」では勝者の歴史から疎外、抹消されてきた「道々の者」、「国」や国家の価値観に縛られず自立的に活動する倭寇や商人などが活々と描かれている(現在連載中の「蒼天の拳」にも同様の姿勢が感じられる。原の価値観とユーモアが凝縮されたレアな短編としては「阿弖流為Ⅱ世」がある)。両者の作品は国家などの大きな集団や組織の価値観に束縛されない自立的な個人を描き、マイノリティを暖かい眼差しで見つめ、彼らと同一の視点から世界を捉えようとするものであり、こうした点には共感を覚える(両者の作品に共通するこうした姿勢とは思想的に対照をなす新潮社の『コミックバンチ』に両者が看板役を担って連載していることは皮肉だ)。北条がともすれば女性の価値観や立場を理解しようと努め、原が概して自立的な男の価値観、論理を浮かび上がらせる点も興味を強く引くところである。


さて、「凌ぎの哲」の達磨であるが、これは原恵一郎の手によるキャラクターである。原恵一郎は知名度が低く、概して「漫画ゴラク」、「漫画サンデー」や「近代麻雀」といった成人向け漫画雑誌に連載する。「少年マガジン」の「哲也」で、阿佐田哲也に人気が出ると「凌ぎの哲」(ここでの哲也は少なからずへまを犯し、姑息である点で原作「麻雀放浪記」の哲也に通ずる)を描き、「週刊モーニング」で「バカボンド」が大ヒットを飛ばし、大河ドラマや映画で宮本武蔵に脚光が浴びると「巌流小次郎」(実は小次郎が決闘後も行き続け、しかも武蔵よりも強かったという点がユニーク)を連載する、時流に迎合する面もある。「だがそれがいい」(by前田慶次)


原恵一郎(原哲夫と作家隆恵一郎からもじった筆名か)の漫画は、梁石日の「血と骨」の世界を思わせるピカレスク(悪漢もの)性、味のあるキャラクター(特に主人公以外のいわゆる敵キャラ)が自分にとって魅力である。(既出の原の作品は入手が困難であるが、現在コンビニ本のかたちで「暴力商売」が再版されている。本作品中の岸和田と森尾、いい味をだしている)


このブログの自分のプロフィールにある画像は、「凌ぎの哲」の達磨である。麻雀で自分が勝つためなら、卓を破壊したり(with蹴り・手刀)、対面の掌を石材の破片で潰す外道であるが、裏切った味方に憐みを抱く面も持つ。こうしたキャラクター性に影響されながらも、自分としてはその風体が気に入った。カッコイイ。


上は色あせたステテコ、腰の腹巻を迷彩のズボンに挟んで編上げブーツを履くその服装もさることながら、一番自分が気に入ったのはその髪形である。側頭部、後頭部はぎりぎりまで刈上げ、前髪が以上に伸びた中分け(自分で勝手に「達磨カット」としていた)。シブすぎる。


そう思ったあげく、自分も同じ髪型にしようと、去年の春から冬前まで頑張った。知人や後輩はその間奇異な眼差しで眺め、親は絶望の余り泣き、怒った。しかし、達磨を「尊敬」する自分としてはむしろ試練とすら思ったのである。今更ながら自分の精神的幼稚さを痛感する。しかし自分勝手な格好をすることと、社会性のある大人であることが両立しにくいことを思うと何だか寂しく感じるところもある。

結局この髪型は、自分が少し天然パーマであること、面長であることなどから自分に馴染まないと判断し、また面接の時期が近づいてきたこともあり、「失敗」としてやめることにした。


それぐらいからであろうか、ちまたで迷彩のズボンにブーツのファッション(一昨年中国に旅行した時、各地で少なからずの若者が同様のファッションをしていた。愛国教育と軍事教練が当たり前の中国ではミリタリーファッションは身近なものである)が流行りだし、今に至っているのである。これなど正に腰から下は「達磨スタイル」、「達磨ファッション」である。


このファッションは、ひょっとすると「凌ぎの哲」達磨に魅せられた者の行動が端の流行かもしれない。


そうかってに思い込むと、俄然自信が出てくる。自分は巷の軟弱な若者と違い、達磨からよりリスキーな髪型をファッションスタイルとして選択したのだと。


まあ、見当はずれも甚だしいと思うが、流行になったり、マスコミで持てはやされた事柄を、それ以前に自分が気に入って親しんだことがある、フリークになったことがある(いわゆるマイブーム)という経験は、自分だけではないはずだ。


達磨はさておき、自分では特にサウンド・トラック(サントラ)については、こうしたことが当てはまる。映画の場合「ザ・ロック」、「地雷を踏んだらサヨウナラ」、「BLADEⅡ」、ゲームの場合「がんばれゴエモン」、「くにおくん」、「三国志」のシリーズなど。CDを借りてきたり、わざわざそのためにゲームをセットしテレビにラジカセを釘付けして録音したりする自分を、親は馬鹿にしており、自分でも恥ずかしく思っていた。しかし数年たってテレビ番組の効果音やサントラで同じ曲が使用されていたりすることがしばしばで、その都度非常に得意な気持ちになるのである。


どんなに社会的に認知されていなかろうが、自分の識見や審美眼が拙劣・幼稚であろうが、感覚的に「カッコイイ」、「おっ」と思ったことは、それはそれとして素直に肯定し、心の片隅に置いておこうと密かに思う次第である。