十数年生活していた実家が引っ越すことになった。荷物の整理などのため、春から暮らしている一人暮らし先からちょくちょく帰る日が続く。作業はまだ本格的ではなく、物理的な作業は大したことはないが、荷物の整理に関して、持っていくか、捨てるか考えることが面倒である。もともととりあえず取っておく、という性分のため、とりあえず捨てる、という引越しは中々難儀である。小学校のころのものなどで、自分はもう要らない、と思っていても親は捨てれないものもあるし、その逆もある。また捨てることが妥当だと思っているキズ・カビだらけの家具などは、生まれてきたときからあったものでもあり、少し物悲しい。

ゴミ捨て場に捨てた、壊したり束ねたりした古いものが後で回収車によってきれいになくなっている。荷物が出され、すっきりした押入れ、空っぽになった本棚、取り外され、差込口が露になった天井の電灯跡・・・

片付けていくにつれ、自分が生活していた場、慣れ親しんで意識にも上らない雰囲気が変容していくことに気付かざるをえなくなる。空気が変わる。空気をその家の住民であった自分たちが変えている(元に戻している)。空間を自分たちは処理しているのだ・・・

空間、その場の雰囲気というのは不思議なほど可変的である。人が集まっている中で、不意に気難しい人がそこに加わったり、逆に奔放磊落な人が入ってきたり、或いは退席したりすると場の雰囲気が変わる。一つの部屋に衝立を置くだけで空間が二つになったようで急にこもった感じになる。あるいはたまたま向かいの家が空き家になり、ほどなく取り壊されてさら地になったが、何だか急に見渡しがよくなり、家の周りも広くなったようで、あたかも豪邸にすんでいたような感覚になる(じき自分たちもいなくなるが)

こうして見ると、当然といえば当然だが、全ての空間は人の思い次第である。火山の噴火で地形が変化しても、空間がどうであるか、例えば昔からそこに住み慣れていた人なのか、初めてその地を訪れたのが噴火後だという人など、人によって違う。あるいは風景が変わらなくても、人々の中にある空間概念が変わる場合もある。「国破れて山河在り」と漢詩は詠む。 

空間は人の思い。先に述べた部屋を区切る衝立、壊される前の家などのものは、人の思いを創出してきたとも言えるだろう。引越しで捨てるか取っておくかを考えるのが面倒なのは、そのものが発する、人の思いにいちいち対面しなければならないからかもしれない。

妖怪にはもともと古い道具であったものがあり、道具を百年使い続けると魂が入り妖怪になる、という話を聞いたことがある。百年使われ続けるということは、百年人の思いの創出に関与し続けたことでもある。古いものに人々が時に風格を感じたり、逆に気味悪がったりするのはこうしたことにもよるのだろう。

だから気持ちを新鮮にしていたい、という人は物を破棄することで、思いと空間を切り替えるのである。一方その空間を残し、生きている雰囲気を続けたいと思うならば、物は捨てないのは言うまでもなく、時にはその物の色や配置の保全に勤めるであろう。その場でかつて起きた歴史的事件を伝えようとするならば、弾丸で穴の開いた窓ガラス、かけるゆとりもなく置かれたメガネ、当時のテーブル掛けなどを、そのままに(ホコリは積もらないように)しておくだろう。あるいは故人であることを認めたくない場合、その人が使っていた部屋をそのまま、その人がいつ帰ってきてもいい状態にしておくだろう。逆のカテゴリの「葬式」であるが、これはその故人のためというより、そこに集った人のため、と言われる。それは、彼らにとって自分の触れてきた諸空間の一部がその故人によって発することに拠っていたからであり、彼らはその人の不在化に直面して、儀式を通じてその故人と共に(直接的・間接的に)触れてきた空間を処理・再構成するからである。

人々が思いを新たにする場合、その場・空間の変換・改編を行う。では行わない場合、どうなるのか?人がその空間の保全をしない場合、今度はものが変換・改編を行うのである。75年に閉山して人がいなくなった炭鉱の島、「軍艦島」。雑賀雄二は閉山直前に数ヶ月滞在し、閉山後約十年、再び廃墟となった島を訪れた。彼は荒れ果てた建物や住居内をみて、懐かしさやわびしさではなく、騒々しさを覚えたのである。風雨にさらされ、変容・破損することで、ものが、かつての道具という役割から脱し、勝手気ままに自分自身の世界を創出するようになったのだ。終わりは始まり。至言だろう。

ZARDの坂井和泉さんが急死。非常に驚く。今年は秋にアルバムを出し、ツアーをやる予定だったという。自分は全盛期よりもむしろ、2004年、2005年の最近の落ち着きのある作品が好きだった。残念でならない。奇しくも彼女が入院し、志望した病院はこの知らせが入った、その日に「自殺を図った」松岡農林水産大臣が担ぎこまれ死亡が確認された慶応大学病院である。